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 早稲田大学
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item1b1a1a1 10年前の創部70周年誌

  「創部70周年 集まり散じて 二十年の歩み」から 抜粋 敬称略

1953(昭和28)年3月、早稲田大学バレーボール部は米国ネブラスカ州オマハ市にて開かれる全米選手権大会に出場のため、単独チームでアメリカ遠征を行なった。

 その目的はこの機会に米国各地を転戦し、6人制(国際式)バレーボールをチームとして体得し、我が国6人制バレーのパイオニアになるということと、9人制を米国に紹介し、その優れた点を知ってもらい、普及をはかることであった。

 遠征メンバーは次の13名で、3月30日プレジデントウイルソン号にて渡米した。

 団 長岡田 英雄

 監 督谷口  清

 コーチ木下吉治郎

 マネージャー兼トレーナー 大倉 俊彦

 選 手佐藤 昭吾(主将)

遠藤 整治、見波 暢隆、御酒本 達、三島 照美

塩野  操、丸谷 統男、西川順之助、田中 知彦

 成績は全米選手権大会大学の部で第三位。各地での成績は、6人制が24試合9勝14敗1分、9人制が15試合14 勝1敗であった。

 この渡米に際し、当時の日本は1951(昭和26)年、国際バレーボール連盟に加盟し、国際化に一歩踏み出したものの、まだまだ9人制バレーが隆盛をきわめていた。そのため日本バレーボール協会に全米選手権大会出場の承認を得るには、米国に9人制を紹介、普及させるということが条件であった。

 又、戦後の経済的に厳しい時代のアメリカ遠征は多大の費用負担を要することであった。このため参加者個人の自己負担の他、現役選手は母校での募金活動を行うと共に、早大O.Bで当時副総理・官房長官であった緒方竹虎氏に渡米後援会長をお願いし、趣意書を起草し、各企業・日本バレーボール協会はじめ地方協会等々から浄財を得ることが出来た。次頁に掲載したものが、この時の趣意書である。(大倉俊彦提供)

 9人制絶頂期における6人制への挑戦、様々な周囲の反応。そして自らの資金集め。帰国後の6人制バレーの紹介・苦心談。これらは50 年史の座談会「単独渡米・6人制のパイオニア」と故岡田英雄の随想「6・9論争」に詳しく記載されている。

 この趣意書には渡米時の目的、時代背景、切りつめた経費、そして学生の本分たる学習・教養に対する真摯な姿勢が述べられている。

 当時から50年。早稲田大学バレーボール部に今も脈々と流れている文武両道の精神をここに見ることが出来る。

初のアメリカ遠征と渡米後援会趣意書

早稲田大学バレーボール部単独渡米

皇太子殿下(現天皇陛下)とプレジデント ウィルソン号にて